最愛の女性を失った男は村上春樹の「女のいない男たち」を読もう
こんばんは。
皆さんは「村上春樹」と聞いてどのような感情を抱きますか?
恐らく一度でも彼の文章読んだことがある人は、「好きor読める」と感じる人と、「嫌いor読めたもんじゃない」と感じる人で別れると思います。
私は前者です。アンチがいるのも充分納得した上で、彼の書く文章や物語が好きです。
村上春樹の好き嫌いって、
抽象的な思考が好きなのか、具体的な思考が好きなのかを見分ける良い指標だと思います。
脱線しかけましたが、今回は私が大好きな彼の短編集「女のいない男たち」について〜極力ネタバレしないように〜感想を述べたいと思います。
あらすじ
この作品は、題名の通り、女のいない(あるいは女を失った)男達について描いた6編からなる短編集です。
それぞれに繋がりはなくどんな順番で読み始めても差し支えないです。
(個人的には1章は初めに読んで、最終章は最後に読むのをお勧めします。)
6編とも、主人公に女がいなかったり、あるいは語り手が女のいない男について述べていく形式です。
失い方のシチュエーションは多種多様です。
レビュー
〜女を失う事の障害について〜
さて、何故私がこの作品を好きなのかと言うと、女を失った自覚がある男達は必ずどれかの話で共感すると考えるからです。
本作の言葉を少し借りるなら、
「一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまった経験のある男」は共感できると思います。
そして最終章まで読み終えると自分の忌まわしい(あるいは甘酸っぱいともいえる)記憶を追体験して、悲しくなると思います。
多くの男性は上記のような経験があると私は考えています。
そしてどうしようもない喪失感に駆られた事があると思います。私もその1人です。
結局女を失うとはなんなのでしょうか。
私は「男達が生きていく上で取ることの出来ないシミを残してしまう事。」のように感じています。
女を失った私達は、初めに喪失感を味わい、
そして残されてしまったシミのようなモノに囚われながら生きていくのだと私は考えています。
そのシミは十人十色で、私達の思考や生き方に「歪み」を加えるのではないでしょうか。
この作品に出た男達も皆、それぞれ女を失った経験がどのような形であれ、現在に「歪み」を加えています。
その障害によって、私達は失った女について些か考えすぎてしまう節があると感じます。
失ってしまった事に何かしらの事実以上の理由や理屈を求めてしまいます。
しかし、「女を失う」という事は、
本当はもっと単純な出来事なのではないでしょうか。
私達が考えているほど、複雑なものではなく、ただ私達は些細な運命の悪戯により失うべくして失っただけである気がするのです。
そのような感想をこの本を読み私は考えました。(該当しない作品もありますが)
しかしながら、そのような障害を克服するのでもなく、心の何処かで抱えて生きていくのが私達男の特徴なのだと私は考えます。
この本はある種、最愛の女性を失った経験のある自分について客観的に考えさせてくれる作品であると考えています。
彼の作品の中でも読みやすい方に位置する作品であると思うので、上記のような経験がある男達にはオススメです。
今日の一曲
ハヌマーン「アパルトの中の恋人たち」
https://m.youtube.com/watch?v=mOkpihNyV_0
男と女のすれ違いとその虚しさを指摘している非常に素晴らしく生々しい名曲です。
では。